政所茶|永源寺

滋賀県、琵琶湖の東部、鈴鹿山系の渓谷に位置する政所

政所茶の歴史

◎政所茶のはじまり

 滋賀県東近江市の東部、臨済宗永源寺派の本山永源寺の奥地、奥永源寺と呼ばれる一帯は、政所茶と木地師の里として知られています。愛知川源流付近で生産される「政所茶」は、かつて「宇治は茶所、茶は政所…」と茶摘み歌に歌われ、銘茶として広く知られていました。

その起源は室町時代にさかのぼり、永源寺開山、寂室元光禅師(1290-1367)の高弟の一人で、永源寺第5世住持の越渓秀格禅師(1340-1413)がこの地で茶の植栽を始めたと伝えられています。

 

ちゃえん

江戸時代から明治・大正時代にかけて、政所茶の生産は増加し最盛期をむかえました。製茶が盛んになると、多くの人手を要します。茶みや茶をむ茶師が、三重県石榑付近から鈴鹿山脈の八風峠や石榑峠を越えてたくさん働きに来ていました。その縁で知り合った他村の女性と村の男性が結婚することを「茶縁」と言われました。

古老の話によると、かつては三重県から千人もの人が入って各家に分散して、泊まり込みで20日から30日間仕事をしたそうです。茶畑では茶摘み歌が流れ、茶部屋には幟が立ち、茶師たちの元気な茶揉み歌が聞かれ、村の中は活気にあふれていたということです。

めいちゃ

江戸時代初期、元和4年(1618)、「小椋谷六ヶ畑」と総称される黄和田、政所、箕川、蛭谷、君ヶ畑、久居瀬の6ヶ村には、彦根藩から茶の運上税が課せられました。茶はこの地の重要な特産品であったことがわかります。

政所茶が全国的に著名な高級煎茶として登場するのは江戸時代中期のこと。元禄5年(1692)成立の『本朝食鑑』には、宇治に次ぐ煎茶の産地として「江州政所」があげられました。日本各地の物産図録『日本山海名物絵図』(宝暦4年/1754刊行)では、日本各地の銘茶24種のうち、7番目に「近江越渓」の名で現れるのが、すなわち政所茶と推定されます。

国学者・本居宣長(1730‐1801)の『玉勝間』には、「近江国の君が畑といふところ」と君ヶ畑村の記述がされ、「此村は伊勢国員弁郡より越る堺に近き所にて、山深き里也とぞ、此村人ども、夏は茶を多くつくりて、出羽の秋田へくだし」と夏季の製茶が盛んで、その茶は遠く東北の秋田にまで出荷しているとあります。

江戸時代の中ごろには、銘茶として広く知られるようになりました。